例に漏れず、『続・最後から二番目の恋』をみております。真平の結婚式のくだりは涙なくしてはみられません。
今年始めに友人の妊娠が分かったけれど、私は諸事情により、連絡を取ることができず、結局生まれたという知らせを受けてからお祝いをいったけれど、私が送った言葉は「この美しい世界へようこそ」。
30年以上生きてきて、多くはないけれどいろんなことが私にはあって、世の中にもいろんなことが起こって、嘆くべきことは多いかもしれないけれど、新しい人になんて声をかけるかと言えば、やっぱり「ようこそ」というしかないだろうと。
脳腫瘍再発の疑いのある真平は、自分が死ぬかもしれないから子供は持たないほうがいいんじゃないか、と悩む。真平の両親が早くに死に、残されてしまったことを考えると、またそんな思いを妻や子供にさせるんじゃないか、と。千明は「未来を信じること。それが生きて行くということ」と声をかける。
生まれてきたら死んで行くのはごく普通のことなのだ。それを嘆くことはない。親だって(私たちだって)この世にやってきたものであり、いずれここから去る。それは当たり前すぎること。それが少し早いか遅いかはあるけれど、この美しい世界に生を受けたのなら、おそらく、新しい人はまたその美しさを知ることがあるんじゃないかと思う。それだけでも、かけがえの無いことだ。
だから、世の中が悪いから暮らしにくいから自分は親にはなれないからなどと考えて、子供をためらう人がもしいるとしたら、それは違うと言いたい。もし、機会があるなら、それを活かさない手はない。
もし誰かが亡くなって涙が出るとしたなら、それはやっぱりこの世界に来た人間がかけがえの無い経験をしたということなのじゃないか。涙の出る関係を、死を怖れることなく(でも射程にいれつつ)、築けたとしたなら、とても大切なものを手にしたことの証しなのだと思う。
そういうことを自由に精一杯やってください、ここではそれができます。だから「ようこそ」でもある。